2020年のライブに一筋の光
『Drawing a Wish』
SING: 鬼頭明里
lyrics: 磯谷佳江
song: 小野貴光
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。なんみんです。今週も水曜日がやってきましたね。新曲が発売される日です。聞いていきましょう。
今週は鬼頭明里さんのアルバムが発売されたので、そちらから一曲聞いていきます。
ちょうど今日(6月10日)、鬼頭明里さんの1stライブのチケ代が値上げされることが公式に発表されました。みなさんはこのことについてどう思いましたか?「推しにお金払うのは当然!」と考えるのか、「チケ代2倍になったら推しは2倍楽しませてくれんの?」と考えるのか、「値上げしても開催してくれるありがたい運営」と考えるのか、「ウイルスに推しを感染させようとするブラック運営」と考えるのか、たくさん思うところはあるようですね。
ここからの話はぼくの想像の領域を越えませんので話半分に読んでください。
ぼくとしては、チケ代が値上がりした要因に目を向けないと、なんとも言えない、と思っています。コロナ禍のなかで苦労しているのは運営側もエンドユーザー側も同じである、という前提において、そのしわ寄せを、「値上げ」という形でエンドユーザー側のみに押し付けている、とも捉えることができるからです。
もう少し詳しく書きます。例えば、会場代が1000万円かかるとします。チケ代を5000円に設定して、会場代の5割をチケ代で賄おうとすると、単純計算で1000人、客を集めないといけません。それが、ソーシャルディスタンスを守るために、500人しか呼べないとすると、運営側は何をしなければいけないのでしょうか。ここで安易にチケ代を2倍にする、という選択は、ぼくは違うと思います。何故、「コロナ禍で苦しい思いをしているのは全世界の人類で共通」なのに、「お金の話」になると、「運営側とエンドユーザー側で負担の量が平等ではなくなる」のでしょうか。会場を仕切っている方も苦しいのは分かるけどね。分かってるんだけどね。
ただ、当然、運営側がありえん頑張って、負担を一身に請負って、それでもなお被りきれない負担の一部を僕たちエンドユーザー側にお願いをしている、という可能性も十二分に考えられます。
例えば先程の例え話で、ソーシャルディスタンスを守るために、500人ではなく、250人しか呼べない、と考えると、単純計算ではチケ代は4倍になりそうですが、運営側が死ぬ気で頑張って2倍に抑えられてる、と考えると、運営側には感謝してもしきれないですね。
と、このような考えを持ってしまったので、チケ代が値上がりした要因を知らない限りは値上がりに肯定も否定もできない、という訳です。
これは全てぼくの中の想像の領域を越えませんので、話半分に読んでください。
ここまでは全て僕の拙い想像の領域を越えませんので!
曲の感想書きまーす。ぼく、曲名に「Drawing」って付くと、どうしても「家庭教師ヒットマンリボーン!」の初代OP「Drawing days」を思い出してしまい、該当する曲の好感度が5アップする、という特性を持っているらしいです。なので、この曲も好感度が他の曲より高い状態で聴き始めたので、普通に好きになりました。ライブで拾いたいです。
ん?ライブで拾いたい?、、、はい、ぼくも鬼頭明里さんのライブに行きたいです。値上がりにあんだけグチグチ言ってたくせに。
でも、違うんだよ。ライブってのは、チケ代で判断するものではないです。楽しさで判断するものです。どうしても、価値尺度の機能をもつ貨幣というツールが絡んでくるので、金額の話になりがちですけど。
多分、ライブって福袋みたいなもんなんじゃないでしょうか。同じ金額で売られている福袋なのに、買う人によって、その中身に感じる価値は変わってくるんです。「価値尺度」という観点で言えばどの福袋も同じ価値なのに。
ライブってのも同じ金額でチケを買うけど、その中身、内容にどれくらい満足するかは人それぞれ。
つまり、何が言いたいかって、
楽しそうなので、ぜひぼくにそのライブ行かせてください!!!
ってこと。
んー。なんか矛盾?
かしこ